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2018年1月17日 水曜日

私の読書日記42

大西郷という虚像

原田伊織

 20180117NHKの今年の大河ドラマ「西郷どん」がいよいよ始まりました。「せごどん」と読むようですね。視聴率もなかなか好調のようです。やはり西郷隆盛は、坂本龍馬と並んで維新の志士たちの中でも抜群の人気があるようですね。薩長同盟のような英断、江戸城無血開城に見られる寛容さ、西南の役での悲劇性などの様々なイメージが重なり、「大」人物という評価が定着しているかと思います。

本書は、この維新の英傑のイメージの大半が、意図的に作られたものであり、実像はかなり違うことを明らかにします。大河ドラマを楽しみたい方は読まない方がいいかも知れません。

(概要)

西郷の性格を形造る上で重要な役割を果たしているのが、薩摩独特の青少年教育である。郷中(ごちゅう)という(言わば町内のような区切り)の中で、集団で子供たちを教育する。その中で青年たちは二才(にせ)と呼ばれ、西郷は二才頭(にせかしら)を務めていた。いわば青年団長と言う役回りだが、この郷中の結束力は強く、後々西郷に付き従うのもこの郷中の青年たちである。

また、薩摩には関ヶ原の戦いで西軍に属し、敵中突破し薩摩に逃れた島津軍敗走の悔しさを決して忘れない、という伝統が幕末まで引き継がれていた。その一つが第1回放送でも紹介された妙円寺参りである。薩摩人の心の中には「いつか徳川を倒す」との気持ちが生き続けてきたのであり、西郷の心の根底には幼い頃から植え付けられた「倒幕」の一語があったのである。

西郷は島津久光に嫌われていたこともあり、表舞台への登場は意外と遅い。2度の島流しから帰還した後の蛤御門の変あたりからである。その後の西郷の活躍は大久保、岩倉と組んで行った策謀の歴史でもある。

数ある策謀の中でも明らかに西郷が主導したのが、赤報隊を使った江戸での乱暴狼藉である。王政復古の大号令後も徳川を中心とした政治体制に変化がないと見るや、相良総三に命じ赤報隊なる組織を作らせ、江戸の主だった商家、武家の家を焼き討ち、殺傷、強姦など好き放題に荒らし回らせた。今の言葉で言えばテロ行為である。これに反発した幕府側が薩摩の仕業だと断じ薩摩藩邸焼き討ちを行うと、これをきっかけに鳥羽伏見の戦いへと突入する。西郷の狙いは平和的な政権の移行ではなく、あくまで幕府を武力で倒すこと。赤報隊はそのための仕掛けだったのだ。そして役割を終えた相良らは偽官軍として消されてしまうのである。

江戸城開城後の東北諸藩との戦いでも西郷の役割は小さくない。会津を始めとした東北諸藩は恭順の意を示しているにも拘わらず、これを受け付けず開戦へと誘導した。

これらを逐一見てくると、西郷の性格には根底に倒幕があり、戦好き策謀好きであることが明らかになってくる。かと言って新しい日本を作るビジョンがあったかと言えば、唯々倒幕であり、その後をどうするかは何もなかったのである。

(感想)

 幕末の戦いについて様々な見方があるかとは思います。私個人としてはどうしても肯定できないのが、会津戦争に至る経緯です。この戦争に大義などはなく、何としても武力で幕府側の残存勢力を叩き潰したいという薩摩や長洲の怨念だけが要因であり、それを止めることのなかった西郷も同罪と言えましょう。

我々が知っている歴史の多くは、戦いの勝者が伝えた歴史であり、実態はかなり違うということを知る上で参考になる本かと思います。

 ただ、本書では西郷だけでなく、主に長洲人の醜悪さも強調しています。伊藤博文、山縣有朋、井上馨など、ある日突然権力の座に就いた下級武士たちは、見識も品格もなく、横領と遊興に明け暮れてしまいます。「こんな日本を作るために戦ってきたのではなかった」と落胆したのが、西郷下野の理由のようです。少なくともお金には清廉な人物であったと記していることはわずかな救いです。

(M.T@総務部)

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