カテゴリー別アーカイブ: 私の読書日記

私の読書日記41

2017年12月5日 火曜日

守教(上)(下)

帚木蓬生

201712055201712054 戦国時代、フランシスコ・ザビエルにより日本に伝わったキリスト教が、各地に教会が建てられるほどに広まった後、秀吉の時代に一転して禁教となり、江戸時代に入り徹底して弾圧されたことで、多くの信徒は棄教(キリスト教を捨て他の宗教を信じる)を余儀なくされました。しかし、表向きは棄教を装いながら、教会もなく神父もいない中でも秘かに教えを信じ、子や孫へ教えを伝え続け、江戸時代の終わりまで信仰を続けた人々がいました。

 そのような人々にスポットをあて、その苦しみや信仰のあり方を描いた小説です。

(あらすじ)

 九州は豊後の国(現在の大分県南部)の領主、大友宗麟は熱心なキリシタン大名だった。その家来でありキリシタンだった一万田馬之助は、豊後国内高橋村の大庄屋(庄屋のとりまとめ役)になるように頼まれる。その時、宗麟から「たとえ小さな村でも、ゼウスによって導かれるこの世の楽園をつくってほしい」との使命を与えられる。その使命の印として、ザビエルから授かったと言われる、絹の布を受け取る。

 馬之助は大庄屋としての仕事に懸命に取り組み、村の農民や各庄屋からの厚い信頼を得る。馬之助の人柄が、やがてキリスト教の教えに導かれたものであることを知った農民たちは、馬之助を通じてその教えを求めるようになる。戦続きの世にあっては命があまりにも軽く、貧しい生活を強いられる農民の心に、キリスト教が説く「慈愛」や「救い」は乾いた土に水が浸みこむように広がっていった。

 馬之助に教えを説いたアルメイダ修道士は、捨て子や孤児たちを引き受け孤児院を開設していた。その孤児院から一人の捨て子を馬之助は自分の養子として育て、久米蔵と名付けた。久米蔵は父以上に熱心な信徒となり、村人たちにキリスト教の祈りを教えるようになる。やがて高橋村の周辺にも信徒は広がり、近隣の秋月には教会も建てられ、神父や修道士による教えも直接聞けるようになった。

 しかし、急速な拡大を驚異に感じたのか、あるいは「キリスト教布教の真の狙いはポルトガルによる日本征服の先兵となること」という噂を信じたのか、秀吉はこれまで容認してきた布教を一転して禁止とする、伴天連追放令を出す。

 江戸時代になるとキリスト教を信仰することそのものが禁止となり、宣教師、信徒に対して徹底した弾圧が始まる。信徒であることがわかれば、拷問による棄教が迫られ、棄教しない者は衆人監視の中、打ち首か磔刑。更には、逆さに吊るし死ぬまで放置するという酷い刑まであった。

この時代、高橋村の大庄屋は久米蔵からその長男である音蔵の代になっていた。次男の道蔵は近隣の今村の農家へ婿入りし大庄屋の下の庄屋となっていた。熱心な信徒であった道蔵は高橋村の危機を救いかつ信仰を守るため、自分が犠牲になることを決意する。

それは大庄屋である兄音蔵と息子である鹿蔵が、奉行所へ「村内の農民は皆信徒ではないが、唯一道蔵だけが信仰を捨てていない」と訴え出ることだった。

音蔵と鹿蔵は必死で翻意を迫るが、道蔵の意志は変わることなくやむなく道蔵の言う通り、音蔵と鹿蔵は届け出て、道蔵は磔の刑を受ける。その結果、奉行所は高橋村の届を信用し、信徒へのそれ以上の追及はなくなった。

高橋村の人々は道蔵の遺志を守り続け、その後200年以上、表向きは仏教徒として生き、秘かにキリスト教の教えを受け継いだ。

(感想)

今村天主堂 (福岡県太刀洗町)

今村天主堂
(福岡県太刀洗町)

 重く、あまりにも重い本で読み続けるのがつらい本です。とりわけ、多くの宣教師や信徒が拷問で殺されていく様子はとても寝る前には読めません。

主人公の馬之助や久米蔵は創作上の人物と思われますが、他の登場人物、神父や修道士は全て実在した人物です。地域名も実名で、道蔵の墓の上には現在今村天主堂が建立されています。

随所にキリストの教えも散りばめられ、キリスト教の教義や歴史の勉強にもなる本です。若い頃読んだ遠藤周作「沈黙」を、もう一度読んでみたいと思いました。

(M.T@総務部)

私の読書日記40

2017年11月7日 火曜日

大暴落~ガラ~

幸田真音

201711051 以前のブログ(2014年11月6日)でも紹介した氏の「スケープゴート」の続編です。

前作では、大学教授だった三崎皓子(みさきこうこ)が民間出身の閣僚として金融担当大臣となり、その後参院議員に出馬し当選。今度は官房長官に任命され任務をこなしていると数か月後、総理大臣が倒れ辞任。三崎は与党の総裁選に立候補し敗れたものの、一部野党の支持も得て国会で次期総理大臣に選出されるというところまででした。

201711052(あらすじ)

 総理大臣に就任した当日から三崎が直面したのは、関東地方北部を襲った集中豪雨。荒川の水が上流域で上昇し、危険水域に達するかも知れないという情報が届く。そこへ大型台風接近の予報。もし台風が東京を直撃したら、更に水位が上昇し荒川が決壊する。その場合、被害は流域周辺だけでなく都心にも及ぶ。事前に手を打たなければ、大変なことになる。洪水を前提とした対応をしなければ、被害を最小限に抑えることができない。

 そのような危機意識を基に、次々と対応を指示するが肝心の閣僚や与党幹部たちが動かない。まだ、都心は晴れている、そんな危険はない。もし、予想が外れたら企業に対しどう責任を取るんだ、と反発する長老たち。それを総理大臣の権限と責任で押し通し、企業や交通機関に事前対応を要請する。

 結果、荒川は決壊し、都内の一部は水没し犠牲者も多く出たが、被害は最小限に食い止められた。三崎に対し批判は出たが、事実経過が判明するにつれその対応に賞賛の声が上がり始める。

一方で、市場では洪水とも関連し日本国債の暴落が始まっていた。もちろん洪水はきっかけに過ぎない。1000兆円にものぼる国債残高が臨界点に達していたのだ。だからこの大暴落は必然であり、止める手段はない。日本に対する国際社会の信任が地に落ちる結果になる。

このどうしようもない危機に三崎は立ち向かう。ここでも三崎の証券会社での勤務経験が生きることになる。

(感想)

 日本国債の危険度については、幸田氏は以前にも小説を書いています(「日本国債」2000年文芸春秋社刊)。このような題材は氏の得意分野です。

 今回、私が興味を持ったのは、荒川の存在です。江戸時代から幾度となく大規模水害に見舞われてきたこの流域では、荒川の決壊を防ぐため、荒川の水流を変える新たな川(荒川放水路)掘削を計画。周辺の土地を買収し、大正の終わりから昭和の始めにかけ17年かけて、多くの犠牲者も出しながら、実に22kmに及ぶ人口の川を作ったのです。この荒川放水路が完成して以後、東京は洪水に見舞われてはいません。東京の暮らしはこのような多大な犠牲の上に成り立っているのです。なお、現在では荒川放水路が荒川で、それまでの荒川は隅田川と呼ばれています。

とは言え、現在でも荒川決壊の危険は完全になくなったとは言えません。この小説も決して絵空事を書いているのではないのです。

前作「スケープゴート」はWOWWOWでドラマ化されました。主人公三崎皓子は黒木瞳が演じました。本作もまたドラマ化されることでしょう。

(M.T@総務部)

私の読書日記39

2017年9月12日 火曜日

将棋の子

大崎善生

  20170912今年の将棋界は藤井聡太四段の活躍で大きく盛り上がっています。彼は中学3年生でプロ棋士になり、いきなり29連勝という大記録を打ち立てました。中学生でプロ棋士になったのは、加藤一二三、谷川浩司、羽生善治、渡辺明の4人のみ。いずれも名人または竜王になっていますから、藤井四段もいずれ名人位はもちろん、将棋界にある8つのタイトルを独占する日が来るかも知れません。彼が、10年~20年に一人の逸材であることは間違いなく、これからが非常に楽しみです。

  ところで、将棋のプロとは何でしょうか。何を以ってプロと言うのか。プロになるためにはどういう手段があるのか。

 将棋に少しでも興味がある方なら当然ご存知のことですが、将棋界にはプロ養成機関というべき「奨励会」という会があります。「将来プロ棋士になりたい」という夢を持つ少年たちはこの会に入会し、プロを目指します。会員には実力に応じて級または段位が与えられており、この級または段は日々の実戦の成績で上下します。6級や7級で入った会員は三段まで上がると、30人程で構成される三段リーグがあり、これで上位2名に入ると四段に昇格できます。そして四段になることがイコールプロ棋士になることです。この三段リーグは年2回開催です。つまり、年に4しかプロ棋士になれないのです。

  しかも、奨励会には年齢制限があり、26歳の誕生日までに四段(プロ)になれないと、強制的に退会となります。子供の頃から将棋だけに没頭し、世間を全く知らない青年が、26でいきなり社会に放り出されます。そこには様々な悲喜劇が生まれます。作者は、日本将棋連盟に勤務し連盟が出す雑誌の編集長を永年務め、大勢の棋士の卵たちを見てきました。この本は作者が、夢破れ、失意の内に去って行った青年たちのその後を追いかけた、ノンフィクションです。

 なお、作者は故村山聖八段の短い人生を描いた「聖の青春(私の読書日記34参照)の作者でもあります。

(あらすじ)
 
成田英二は北海道で貧しい家に生まれた。札幌の将棋道場で神童とか天才とか呼ばれ、高校1年の時、高校生の全国大会で優勝。17歳で奨励会に入会した。英二と母は東京へ出て一緒に暮らすことになる。その後、父も関東に仕事を見つけ東京へ出て来る。全て、英二がプロ棋士になることを支援するためだった。しかし、地元で無敵だった英二も、奨励会は同じような天才ばかりが全国から集まってくる場所。その中で勝ち進むのは容易ではない。英二の成績は次第に足踏みする。二段までは上がるのだが、その先は高い壁だった。そうこうする内、母が乳がんで倒れる。父が心筋梗塞で死亡する。母を懸命に看病するが、やがて母も死去する。一人になった英二は寂しさに耐えきれず、成績は低迷し、26歳を前にプロ棋士の夢を断念し、奨励会を退会する。

  奨励会を辞めた英二は、母が残してくれていた唯一の遺産300万円をギャンブルで使い果たした後、故郷の北海道夕張へ帰る。ところが、地元でも勤務先の倒産や不運が重なり、サラ金に追われる身となり、アパートから夜逃げし、いつしか廃品回収の日雇い労働者として、タコ部屋のようなところで住み込みで働いている。

(感想)
 
本書の中には、英二の他、何人かの元奨励会員たちの、奨励会退会後の人生が描かれています。なかには、退会後、自暴自棄になり多くの転職を繰り返した後、一念発起して不動産会社に就職し、その後司法書士の資格を取得し開業した者。世界中を放浪した後、ブラジルに定住し、ブラジルで開かれた将棋大会に優勝した者、等々様々な人生が綴られています。

 四段になれるかなれないか。その差は紙一重であり、運に因るものでもあります。しかし、その紙一重はあまりにも大きな差となって若者の後半生を襲います。

 藤井四段のように、脚光を浴びるトップ棋士がいる陰で、多くの若者はひっそりと将棋界を去り、その後の人生で塗炭の苦しみを味わいます。将棋界とは、なんと厳しい世界なのでしょうか。子供の頃から人生の全てをかけて挑んだ勝負に敗れ、去っていく若者の心を思うと胸が痛みます。

(M.T@総務部)

私の読書日記38

2017年8月7日 月曜日

足利兄弟

岡田秀文

 20170808古今東西、兄弟が敵味方に別れ戦うという事は多くありますが、足利尊氏、直義(ただよし)兄弟の戦いはその規模において、日本史上では最大級のものでしょう。NHK大河ドラマ「太平記」(1991年)でも放送されました。あの時は、尊氏を真田広之、直義を高嶋政伸が演じましたが、私の中では尊氏や直義よりもなぜか高師直(こうのもろなお)を演じた柄本明の印象が強く、顔や態度にいかにも曲者という感じがにじみ出ていた記憶があります。

 (あらすじ)

 鎌倉時代末期、政権は鎌倉幕府執権北条氏にあったが、実権は得宗家(とくそうけ=北条一族の本家のこと)の執事である長崎氏が握っており、北条氏自体の権力も弱体化していた。源氏の嫡流であることを自他ともに認める足利家は、北条氏の配下にあり、幕府を支える立場を保ちながら、いつの日か北条氏に取って代わろうという野心を隠し持っていた。

 足利家の嫡男尊氏と1歳違いの弟直義は子供の頃から仲が良く、足利家の悲願を共有していたが、行動的な直義に対し、尊氏は今一つつかみ所のない性格で、北条家の娘を妻にしていることもあり、謀反決起には慎重だった。

 そんな中、京都で後醍醐天皇が幕府打倒を掲げ立ち上がった。尊氏兄弟はこの混乱を待っていた。京都での反乱を抑えるため、鎌倉幕府は尊氏ら有力武将に追討を命じ、尊氏は出陣するが、京都に到着した尊氏は出陣前の計画通り、天皇側に寝返った。これが契機となり、鎌倉幕府と北条氏は滅びてしまう。

 その後、建武の新政を経て、後醍醐天皇を排除、新たな天皇も擁立し(北朝)、念願の足利政権を樹立するが、今度は政権内での権力闘争が表面化する。尊氏から政務を実質上任された直義と、足利武士団の中心にいる高師直との対立だ。直義から師直の排除を要求された尊氏は一度、師直を罷免するが、今度は師直側から武力で脅され、結局、直義を追放する。

 全て職を解かれ出家した直義だが、師直に対する憤りは抑えきれず、尊氏、師直らが思いもつかぬ戦術に出る。何と、自分達が排除した共通の敵であった南朝側と手を結んでしまうという、奇策であった。

 この後、兄弟の戦いは日本中の武士を巻き込み、オセロゲームのように勝敗はめまぐるしく変わるが、最終的には尊氏側が勝利し政権は安定化する。

(感想)

 今の時代でも兄弟の関係というのは難しいものです。まして、戦国の武将ともなれば兄弟それぞれに有力武将や家臣団がいます。彼らにはそれぞれ地方に領地があり、背後には様々な利害関係もあるでしょう。いくら兄弟仲が良くても、それらの人々に担がれると、引くに引けなくなってしまうのでしょう。特にこの兄弟の場合は、本来は仲が良く、政権奪取までも、奪取後も一緒に行動し、兄弟で戦って勝利した時も相手の命までは奪わないでいただけに、別れと結末は悲しいものがあります。

 それにしても、尊氏という人物がよくわかりません。天真爛漫で鷹揚な性格で部下への愛情に溢れてはいるようですが、優柔不断で皆に担がれるだけ好人物のようにも見えるし、実は優れた戦略家のようでもあり、陰湿な策謀家のようにも見えます。作者は尊氏の内面は描写せず、直義や師直や妻の視点で尊氏を描いているので、とても多面性のある人物になっています。信長、秀吉、家康などの英傑たちと違い、キャラクターが見えにくい。そこが歴史上の人物の中では人今一つ人気が出ない理由なのかも知れません。

(M.T@総務部)

私の読書日記37

2017年5月29日 月曜日

君の膵臓をたべたい

住野 よる

201705292 2016年度本屋大賞第2位受賞の本。本屋大賞は毎年チェックしている私も、「さすがに猟奇小説?には興味ないし」と敬遠していましたが、今回映画化されるらしく、映画のPVを観ると高校生の恋愛モノであることを知りました。

映画オフィシャルサイト → http://kimisui.jp/

 読んでみると、タイトルからは想像できない、儚くも美しい、そしてテンポのいい恋愛小説でした。映画化に合わせ文庫化もされ、読者が一気に広がることでしょう。

<あらすじ>
 
山内咲良(さくら)は高校2年生。重い膵臓の病気に侵され、余命が告げられているが、日常生活は普通にできており、病気のことは家族以外誰も知らない。一方、主人公の「僕」は咲良と同級生ながら、地味で目立たない生徒。人との関わりを極力避け、人生で一人の友達もつくったことがない。読書だけが自分を幸せにしてくれる時間で、文庫本を常に読んでいる根暗な生徒。そんな「僕」が、ひょんなことから咲良の秘密を知ってしまう。「僕」は咲良にとって【地味なクラスメイトくん】から【秘密を知ってるクラスメイトくん】になる。

 咲良は積極的な行動派で、「僕」は他人の意見に流される「草船」のような存在。結果、「僕」は行動的な咲良に半ば強引に誘われるまま、様々な場所へ遊びにでかける。咲良には「生きているうちにやりたいことリスト」があり、それら全てに付き合わされる。最初は、流されるように嫌々つきあってきた「僕」だが、咲良の存在が自分の中で徐々に大きくなり、咲良の明るさで自分が変わっていきていることに気づく。

 咲良にとっても、「僕」は自分の秘密を知っていてもそれでも変わらず普段通りに付き合ってくれる、心許せる相手として貴重な存在になっていく。
 二人がお互いの存在を強く意識し始めた時、悲劇が起こる。

201705293<感想>
 
いい歳をしたおっさんが読む本ではないかも知れませんが、なかなかいい本です。ツッコミ所がないわけではありませんが、それを上回る感動があります。
 二人の会話はテンポ良く、とてもウィットが効いています。良い言葉もありました。
 咲良「二人が出会ったのは偶然でも運命でもない。私たちがこれまでの人生でたくさんの選択をしてきた結果なんだ。私たちは自分の意志で出会ったんだ
 もう一か所。
 僕「君にとって生きるってどういうこと?」

 咲良「生きるって、きっと誰かと心を通わせることかな

 著者はこの辺りが言いたかったんじゃないかな、と最後に思いました。とてもヘビーなテーマを扱っているのに、とてもライトなタッチで描かれていて、どんどん引き込まれます。最後の30~40ページくらいは、なかなか泣かせます。

(M.T@総務部)

私の読書日記36

2017年4月19日 水曜日

ギリシャ人の物語Ⅱ(民主政の成熟と崩壊)

 塩野七生

 塩野七生の最新刊、私にとって待望の「ギリシャ人の物語第Ⅱ巻」です。

20170419塩野氏のこの本は全3巻で成り立っています。

  第Ⅰ巻  民主制の始まりからぺルシャ戦役まで

  第Ⅱ巻  アテネの隆盛からペロポネソス戦争を経てその没落まで

  第Ⅲ巻  マケドニア王アレクサンダーにギリシャ全体が征服されるまで

 第Ⅰ巻では東方の大国ペルシャの侵攻をギリシャ諸都市が団結して撥ね返したペルシャ戦役が描かれましたが、この後、アテネには優れた指導者が続き繁栄を謳歌します。

(あらすじ)

 アテネは直接民主政の国で、全人口約6万人を10の地区に分け、各地区から毎年一人の代表を選ぶ(再選は可)。この選挙で選ばれた10人の代表をストラテゴスと呼び、1年間国政を執行する。しかし、決定権はあくまで国民にあり、重要政策は必ず市民集会にかけられ、決定事項はストラテゴスも守る義務がある。

 このストラテゴスに毎年選ばれ、この時代(紀元前461年~430年)国政を実質的に一人で担ったのが、ペリクレス。彼はペルシャと講和するだけでなく、ギリシャ世界のライバル、スパルタとも和解した。一方で海軍力を強化しエーゲ海の制海権を握ると、エーゲ海東西両岸の都市国家やエーゲ海内の島々と同盟を結んだ。これをデロス同盟と呼ぶ。これはペルシャに対抗する軍事同盟という目的だけなく、エーゲ海を通じた自由な貿易の確保という狙いもあった。海洋国家であったアテネは貿易を通じて繁栄し、ギリシャ世界に君臨した。

 アテネが平和で隆盛するとギリシャ各地から様々な人材も集まり、文化面でも大きな繁栄が続いた。今に残るギリシャの文化遺産はほとんどこの時代のものである。歴史作家ツキディデス、悲劇作家ソフォクレスら、喜劇作家アリストファネス、医学の父と言われるヒポクラテス、哲学者ソクラテスがこの時代の人である。そしてペリクレスその人も巧みな弁舌家であり、彼の演説は今でも民主主義の意義を示したものとして名高い。そしてペリクレスが残したものとして、今の時代の我々にとって大きな功績はパルテノン神殿であろう。彼はその任期中一貫して神殿の再建を市民に訴え膨大な国費も支出し実現した

しかし彼の死後、アテネの民主政は迷走し始める。様々な政治家が現れては消え、市民集会の決定は煽動家たちによって右に左に揺れ、ペリクレスが避け続けていたスパルタとの戦い(ペロポネソス戦争)に深入りし、ついには全市民の半分以上を投入して地中海のシチリア島へ派遣した海軍が、スパルタとシラクサ(シチリア島の都市国家)の連合軍の前に全滅。その後の戦いでスパルタに無条件降伏、デロス同盟も崩壊した。ペリクレス死後25年後のことであった。

(感想)

 アテネの繁栄に対し、その没落はあまりにも急であっけなく悲しい。民主政の担い手は同じアテネ市民なのに、昨日と今日でなぜこんなにも違ってしまうのか。結局政治は、民主政であれ、王政であれ体制はどんな形をとろうとも、それを指導する人物次第なのか、思ってしまいます。

 アテネの降伏を受け、スパルタ側で戦った都市国家、テーベとコリントはアテネ市民全員の処刑とアテネ市内の更地化を要求したといわれます。しかし、これをスパルタ王が撥ねつけます。「お前たちはペルシャ戦役でアテネがギリシャのために払った犠牲を忘れたのか」と。スパルタもまたペルシャとの戦いでは多大な犠牲を払っています。アテネに対しては同志にも似た気持ちが少しは残っていたのでしょう。もし、この時、スパルタ王がテーベ、コリントの要求を呑んでいたら、パルテノン神殿は今に残ってはいなかったわけです。そこに少しだけ救われた気持ちです。

(M.T@総務部)

私の読書日記35

2017年2月6日 月曜日

天子蒙塵第1巻、第2巻

浅田次郎

201702061 浅田次郎のライフワークとも言うべき、中国もの歴史小説最新作です。氏には代表作として中国清朝末期の西太后時代の政争を描いた「蒼穹の昴」がありますが、その後、西太后時代に起きた事件(皇妃の変死)を描いた「珍妃の井戸」、西太后後の時代に活躍した軍閥、張作霖を描いた「中原の虹」、その張作霖爆殺の真相を探る「マンチュリアン・リポート」を発表し一連のシリーズのようになっています。それらのシリーズ第5部とも言えるのが本作品です。

 私は、20年前に直木賞候補になった「蒼穹の昴」で浅田次郎を知りました。たぶん人生で一番夢中になって読んだ本です。近代中国の歴史の勉強にもなりました。登場人物は実名でストーリーもリアルなため全て史実に基づいて書かれていると思い込んでいましたが、主人公の二人、梁文秀と李春雲が氏の創作上の人物と後で知りショックでした。ただ、この二人を主人公にしたからこそ、ストーリーに厚みが出たのかも知れませんし、後に続くシリーズに全てこの二人が登場するところを見ると、最初から二人に狂言回し的役割を与えているのかも知れません。もちろん、本作品にも二人は登場します。

201702062<あらすじ>
 清朝が崩壊し孫文の中華民国が成立したが、最後の皇帝溥儀は紫禁城の半分の使用を許され、未だ皇帝の如く暮らしている。しかし中華民国の統治は混乱し軍閥が鎬を削っており、溥儀の命を狙う者あるいは溥儀を奪い利用しようとする者もおり、溥儀たちはドイツ人租界へ逃げる。更に天津の日本人租界へと転々とする。そんな中でも溥儀と少なくなった側近たちは清国の復活、皇帝溥儀の復位を信じて耐えている。

 溥儀には皇妃として婉容、側室として文繍がいたが、文繍は自由を奪われた生活に耐えきれず、脱出し離婚を提訴。中国歴史上初めての皇帝離婚劇となった。(第1巻)

201702063 中国の混乱の中でその勢力を増してきたのが日本の関東軍である。彼らは溥儀に近づき、清朝の復活を匂わせながら、利用しようとする。溥儀は、日本を信用できないが自らの悲願のために日本の支援を受けることにする。日本は中国での軍事行動で国際的に孤立する中、自らの軍事行動を正当化するためには、中国人の自立した活動を支援しているとの体裁が必要であった。そのため、溥儀を執政(後に皇帝)とした満州国を建国し、傀儡国家とする。

 一方、その関東軍に最後まで抵抗を続けているのが張作霖亡き後、馬賊を率いる馬占山である。彼は、日本軍に恭順したかつての仲間から満州国での主要なポストを約束され、投降を促される。その呼びかけに応じて戦いを止めた馬占山であったが、彼には隠された狙いがあった。(第2巻)

<感想>
 「天子蒙塵」とは、天子つまり皇帝が塵(ちり、ほこり)をかぶること。世界の中心であるはずの中国では、皇帝が塵を蒙ることなど決してあってはならないことです。しかし、前皇帝溥儀は逃げるようにして紫禁城を脱出し、その後も住居を何度も変わります。皇帝が塵にまみれ都落ちする惨めな姿を本のタイトルにしています。

201702064201702065 ラストエンペラー溥儀は世界でも稀にみる数奇な運命を辿った人物だと思います。その転変には同情しますが、彼の人生はそれだけスリリングでドラマチックです。小説の主人公としては、これ以上の素材はないかも知れません。
 「蒼穹の昴」「珍妃の井戸」以降、浅田氏のこのシリーズを読んでいなかっかのですが、改めて氏の作品の面白さを知りました。第3巻も楽しみですが、まだ読んでいない「中原の虹」と「マンチュリアン・リポート」を読んでみようと思いました。

(M.T@総務部)

私の読書日記34

2016年11月30日 水曜日

聖(サトシ)の青春

大崎善生

2016120111998年(平成10年)、29歳で逝った将棋界の鬼才、村山聖八段の生涯を描いた作品です。今、松山ケンイチ主演で映画が公開されています。私は彼の名は知っていましたが、今回読んでみてその生涯の壮絶さに驚き、感銘を覚えました。将棋に全く興味がない人でも、一人の若者の生き方から強烈な刺激を受けることと思います。

<あらすじ>

 村山聖は1969年(昭和44)広島市に生まれた。5歳の時、腎ネフローゼという難病にかかり、小学校5年まで国立療養所に入院し、院内学級で勉強することになる。入院していた同室の子供がある日、突然いなくなることを日頃から見ていた村山は、死というものを身近なものと感じる多感な子供になっていった。父がそんな息子の気晴らしになればと児童書やゲームを差し入れる内、一冊の本に村山は引き付けられる。それが将棋の解説本であった。それからというもの、村山は父に将棋関連の本ばかり差し入れを要求するようになる。病室では一日中、本を片手に盤上の将棋の駒を動かし、将棋の研究に没頭する。

 10歳の頃、外泊許可をもらい将棋教室へ通うようになると、一度も実戦経験がなかったにもかかわらず、メキメキと頭角を現し、11歳の時中国こども名人戦に優勝(その後4連覇)。その頃より中国地方一帯に名前を知られ始める。この頃から村山も強烈にプロを意識するようになり「プロになりたい」「名人になりたい」「谷川(名人)を倒したい」が口癖になる。

 両親は「この身体ではどう考えてもプロは無理だ」親族会議を開いてまで断念させようとしたプロ入りだったが、逆に強烈な自己主張で親族までも説得し納得させてしまう。

1982年(平成57年)、中学1年で森信雄六段を師匠として入門。翌年、奨励会(注1)に5級で合格、プロの卵となった。

(注1)奨励会とは、棋士の養成機関。各級から三段まであり、三段から四段に昇級するとプロとなる。各級各段毎に厳しい年齢規定があり、その年齢までに昇級できないと強制的に退会となる。

 奨励会入会後も、体調は一進一退で入院のため何度か休会している。それでも5級から三段までをほとんどノンストップで通過し、1986年(昭和61年)11月、17歳で四段に昇級し晴れてプロとなった。奨励会入会からプロ入りまで2年8か月は谷川や羽生を上回るスピード出世だった。

その後も快進撃は止まらず、順位戦(注2)の各級を驚異のスピードで通過し1995年A級に昇級、八段となり名人位を射程に捕える。

(注2)プロ棋士は全員、C2~1組、B2~1組、A級の5つの級に分かれ、級が上がると1段昇段しA級が八段。A級リーグの優勝者が名人に挑戦できる。

 一方、病気の方は全く快方せず、この快進撃の間も何度も入院、退院を繰り返し、不戦敗や病室から対局場へ行くこともしばしば。1局対局すると体力を消耗し、2~3日動けなくなり、自宅アパートでひたすら安静にするしかなかった。

 A級に昇級後、体調が悪化し、1997年にB級に降格。この時、膀胱癌が見つかり、片方の腎臓と膀胱を摘出する手術を受ける。生殖機能も失われた。1か月の入院後、医師の反対を押し切り、看護師に付き添われながら、棋戦に復帰。1年でB級を突破し、1998年(平成10年)A級復帰が決まった。

 その年の2月、村山は医師より非情な宣告を受ける。癌が再発していたのだ。村山は決められた戦いをこなしながら、翌期の休場を決め将棋連盟に届け出る。自身の最期を悟ったのだろうか。

 5月、再度入院したがもはや手術は不可能、放射線治療のみであった。そして8月8日、息を引き取った。最後まで将棋の棋譜をうわ言の様に読み上げ、最後の言葉は「2七銀…」であった。

<感想>

 村山のすさまじい将棋への執念、勝利へのこだわりは、自身の病気と直結しています。幼い頃から常に病気と闘い、死と隣り合わせにいた村山は、「自分には時間がない」ことを知っていました。だから名人になるためには、1年でも早くプロになり、八段にならなければならなかった。村山には無駄にできる時間は1秒もなかったのです。
 一日、一分、一秒を大切にし、真剣に生きる。そのことを村山は私たちに教えてくれています。

 一方で村山は、命あるものに優しい目を向けます。動物や植物、自分のように病気に苦しむ人、障害を持つ人たちは他人のようには思えなかった。草花を切って飾ることさえ嫌がります。こういう純真無垢なところが多くの先輩から可愛がられ、友人や後輩からは慕われました。友人の一人である先崎六段(当時)の追悼文に胸をうたれます。

https://shogipenclublog.com/blog/2015/04/22/senzaki-7/

(M.T@総務部)

私の読書日記33

2016年10月14日 金曜日

徳は弧ならず~日本サッカーの育将 今西和男~

 木村元彦

201610142012年8月23日、FC岐阜の社長今西和男氏(以下敬称略)が突然解任されました。いったい、あの時、何が起こっていたのか。

2007年、広島出身の今西にとって何の縁もゆかりもない岐阜に、三顧の礼で迎えられFC岐阜のGMに就任、その後請われるまま社長にもなり、Jリーグが掲げる地域貢献という使命をどのチームよりも熱心に追求してきた岐阜県の恩人がなぜ斬られなければならないのか。私の頭の中にあの時からずっと疑問が残ったままでしたが、今般スポーツジャーナリストである著者の取材により諸々の事情が明らかになってきました。本書はそれらの事情だけでなく、今西和男のこれまでのサッカー指導歴を中心に、その人となりを紹介するものです。

(概要1 FC岐阜以前)

 今西は1941年広島市生まれ。1945年8月の原爆投下の日は広島市内で被爆。今も身体にはケロイドが残り、左足は自在にボールを蹴れない。そんな今西であったが高校2年時にサッカーを始め、技術が劣るところを体力と勇気で補い、やがて有力選手となり、東京教育大(現筑波大)に進学してもサッカーを続け、社会人サッカーチームを持っていた東洋工業(現マツダ)に入社。

 東洋工業での選手生活は短かったが、引退後福祉課や営業マンを経験。福祉課では7500人にもなる社員寮の社員の面倒を見、営業では1年間で125台を売ったトップセールスマンだったこともある。1982年にサッカー部副部長としてサッカー部に復帰、名門東洋工業の再建を託される。

 今西は総監督としてチームの運営には関わるが、現場はオランダから招聘したハンス・オフト(後の日本代表監督)に任せた。この時の今西の立場がゼネラルマネージャー(GM)であり、今西は日本初のGMと呼ばれる。

 1993年Jリーグ創設時にはプロ化し、サンフレッチェ広島として参入、1994年Jリーグ制覇。その後は日本サッカー協会の強化委員を務めるなど、日本サッカーの強化にかかわってきた。

(概要2 FC岐阜以降)

2007年、FC岐阜GM就任時、クラブは会社としての体をなしていなかった。資本金は200万円、債務超過は2,億円。Jリーグへの加盟申請も条件が到底満たないため、承認されず。今西はチーム強化だけでなく、資金繰りまでも見なければならなくなる。同年、チームはJFL3位となり成績としてはJ2昇格の条件を満たしたが、肝心の経営面の審査が厳しく簡単にはJリーグ加盟を認められない。Jリーグ側が出した条件が、今西の社長就任であった。それだけ今西に対する信頼はサッカー界の信頼は厚かったのである。社長になることは債務の保証人になることも意味したが、サッカークラブが地域に貢献できるようになれば、と引き受ける。この決断が後々禍根を残すことになる。

 Jリーグはその後、クラブライセンス制度を導入。一定期間内に財務状態が改善されないクラブに対しては、ライセンスを下ろさないル-ルが敷かれた。FC岐阜はこのルールに抵触し、存続の危機に瀕する。この時外部からJリーグに入りライセンス制度をつくったメンバーたちが今西降ろしを画策。FC岐阜の人事に介入し、今西退任をライセンスを交付する条件とした。県、市、財界が一体となってFC岐阜を支援しようと決めたその日に、Jリーグ側は今西の退任を求めてきたのである。県、市ともそれを認めざるを得なかったのであろうか。

(感想)

 タイトルにある「徳は弧ならず」とは論語にある言葉で、日常から徳を積んでおけば、そのときは報われないことがあるかもしれないが、将来きっと理解され、その努力が芽を出し花が咲く。孤独のようだが決して一人ではない。見ている人は必ずいる、という意味です。この言葉を今西に教えたのは岐阜の財界人とのことですが、まさに今西の人柄にふさわしい言葉です。

 今西は多くの選手や指導者を育てました。Jリーグだけを見ても、広島の森保一、川崎の風間八宏、清水の小林伸二、長崎の高木琢也などが監督として活躍しています。岐阜では不幸な結果となりましたが、今西が岐阜で播いた種は将来きっと大きな花を咲かせてくれると思います。

(M.T@総務部)

私の読書日記32

2016年7月28日 木曜日

陸 王

 池井戸潤

s20160728池井戸潤の作品をこのブログで紹介するのは4度目になります。もちろん一番多いのですが、私が好きな作家だからと言うより、今、日本で一番人気のある作家でヒット作が多いが故だと思います。

さて、今回の主人公は足袋屋の社長です。足袋と言えば、今は和装にしか使われませんが、以前は建築業界の職人さん方にとって地下足袋は必需品でしたし、子供の運動会では運動足袋が主流でした。私も子供の時は履いて走ったものです。

しかしながら、近年需要は大きく減少し、足袋を作るメーカーもどんどん廃業。足袋一筋100年を超える家業を続けてきた「こはぜ屋」の四代目社長、宮沢もそのような現状と将来を憂い、この先どうして行こうか悩んでいます。

<あらすじ>

 会社の将来のため、何か新事業を立ち上げねば、と考えていた宮沢は運動靴の製作に自社の足袋の技術を活かせないかと思いつく。スポーツインストラクターに相談したり、実業団の陸上競技チームを紹介してもらったりして、研究開発がスタート。

技術的な面では、倒産したベンチャー企業が死蔵していた特許技術を活用できたりして、これまでにはないソフトで軽くかつ耐久性が高く、怪我をしにくい靴「陸王」を開発。世に出そうとするが、既存の大手スポーツ用品メーカーのアトランティスに悉く妨害され、販売はスムーズに進まない。しかし、その情熱に感銘を受けた、某実業団陸上部の茂木が陸王を履いて競技に出ることを決意。元日の「ニューイヤー駅伝」で快走し、これが陸王のデビュー戦となった。

上々のスタートを切った「陸王」だったが、その前にはとんでもない事件が次々と起こり、運動靴事業からの撤退を決断しなければならない危機が到来する。

<感想>

 さすが池井戸潤!とうなりたくなる展開です。次々とヤマ場がやってきて、あっという間に時間が過ぎて行きます。ニューイヤー駅伝の模様などは、テレビの実況中継より生々しく、ハラハラドキドキしっ放しです。

そして業界のことをよく調べてあることにも感心します。氏の専門分野ではないでしょうが、足袋業界やスポーツ業界の状況。靴に関しても、どういう走りが怪我が多いのか、どういう靴が理想なのか、かなり専門的です。

登場人物は皆キャラが立っていて“善玉”“悪玉”がはっきりしていています。これらの登場人物が躍動し、最後は勧善懲悪型の展開で必ずハッピーエンドで終わり、読み終わってすっきりするところが氏の作品が広く受け容れられる要因ではないか、と改めて思いました。近いうちにドラマ化されることは確実でしょう。

(M.T@総務部)