カテゴリー別アーカイブ: 私の読書日記

私の読書日記38

2017年8月7日 月曜日

足利兄弟

岡田秀文

 20170808古今東西、兄弟が敵味方に別れ戦うという事は多くありますが、足利尊氏、直義(ただよし)兄弟の戦いはその規模において、日本史上では最大級のものでしょう。NHK大河ドラマ「太平記」(1991年)でも放送されました。あの時は、尊氏を真田広之、直義を高嶋政伸が演じましたが、私の中では尊氏や直義よりもなぜか高師直(こうのもろなお)を演じた柄本明の印象が強く、顔や態度にいかにも曲者という感じがにじみ出ていた記憶があります。

 (あらすじ)

 鎌倉時代末期、政権は鎌倉幕府執権北条氏にあったが、実権は得宗家(とくそうけ=北条一族の本家のこと)の執事である長崎氏が握っており、北条氏自体の権力も弱体化していた。源氏の嫡流であることを自他ともに認める足利家は、北条氏の配下にあり、幕府を支える立場を保ちながら、いつの日か北条氏に取って代わろうという野心を隠し持っていた。

 足利家の嫡男尊氏と1歳違いの弟直義は子供の頃から仲が良く、足利家の悲願を共有していたが、行動的な直義に対し、尊氏は今一つつかみ所のない性格で、北条家の娘を妻にしていることもあり、謀反決起には慎重だった。

 そんな中、京都で後醍醐天皇が幕府打倒を掲げ立ち上がった。尊氏兄弟はこの混乱を待っていた。京都での反乱を抑えるため、鎌倉幕府は尊氏ら有力武将に追討を命じ、尊氏は出陣するが、京都に到着した尊氏は出陣前の計画通り、天皇側に寝返った。これが契機となり、鎌倉幕府と北条氏は滅びてしまう。

 その後、建武の新政を経て、後醍醐天皇を排除、新たな天皇も擁立し(北朝)、念願の足利政権を樹立するが、今度は政権内での権力闘争が表面化する。尊氏から政務を実質上任された直義と、足利武士団の中心にいる高師直との対立だ。直義から師直の排除を要求された尊氏は一度、師直を罷免するが、今度は師直側から武力で脅され、結局、直義を追放する。

 全て職を解かれ出家した直義だが、師直に対する憤りは抑えきれず、尊氏、師直らが思いもつかぬ戦術に出る。何と、自分達が排除した共通の敵であった南朝側と手を結んでしまうという、奇策であった。

 この後、兄弟の戦いは日本中の武士を巻き込み、オセロゲームのように勝敗はめまぐるしく変わるが、最終的には尊氏側が勝利し政権は安定化する。

(感想)

 今の時代でも兄弟の関係というのは難しいものです。まして、戦国の武将ともなれば兄弟それぞれに有力武将や家臣団がいます。彼らにはそれぞれ地方に領地があり、背後には様々な利害関係もあるでしょう。いくら兄弟仲が良くても、それらの人々に担がれると、引くに引けなくなってしまうのでしょう。特にこの兄弟の場合は、本来は仲が良く、政権奪取までも、奪取後も一緒に行動し、兄弟で戦って勝利した時も相手の命までは奪わないでいただけに、別れと結末は悲しいものがあります。

 それにしても、尊氏という人物がよくわかりません。天真爛漫で鷹揚な性格で部下への愛情に溢れてはいるようですが、優柔不断で皆に担がれるだけ好人物のようにも見えるし、実は優れた戦略家のようでもあり、陰湿な策謀家のようにも見えます。作者は尊氏の内面は描写せず、直義や師直や妻の視点で尊氏を描いているので、とても多面性のある人物になっています。信長、秀吉、家康などの英傑たちと違い、キャラクターが見えにくい。そこが歴史上の人物の中では人今一つ人気が出ない理由なのかも知れません。

(M.T@総務部)

私の読書日記37

2017年5月29日 月曜日

君の膵臓をたべたい

住野 よる

201705292 2016年度本屋大賞第2位受賞の本。本屋大賞は毎年チェックしている私も、「さすがに猟奇小説?には興味ないし」と敬遠していましたが、今回映画化されるらしく、映画のPVを観ると高校生の恋愛モノであることを知りました。

映画オフィシャルサイト → http://kimisui.jp/

 読んでみると、タイトルからは想像できない、儚くも美しい、そしてテンポのいい恋愛小説でした。映画化に合わせ文庫化もされ、読者が一気に広がることでしょう。

<あらすじ>
 
山内咲良(さくら)は高校2年生。重い膵臓の病気に侵され、余命が告げられているが、日常生活は普通にできており、病気のことは家族以外誰も知らない。一方、主人公の「僕」は咲良と同級生ながら、地味で目立たない生徒。人との関わりを極力避け、人生で一人の友達もつくったことがない。読書だけが自分を幸せにしてくれる時間で、文庫本を常に読んでいる根暗な生徒。そんな「僕」が、ひょんなことから咲良の秘密を知ってしまう。「僕」は咲良にとって【地味なクラスメイトくん】から【秘密を知ってるクラスメイトくん】になる。

 咲良は積極的な行動派で、「僕」は他人の意見に流される「草船」のような存在。結果、「僕」は行動的な咲良に半ば強引に誘われるまま、様々な場所へ遊びにでかける。咲良には「生きているうちにやりたいことリスト」があり、それら全てに付き合わされる。最初は、流されるように嫌々つきあってきた「僕」だが、咲良の存在が自分の中で徐々に大きくなり、咲良の明るさで自分が変わっていきていることに気づく。

 咲良にとっても、「僕」は自分の秘密を知っていてもそれでも変わらず普段通りに付き合ってくれる、心許せる相手として貴重な存在になっていく。
 二人がお互いの存在を強く意識し始めた時、悲劇が起こる。

201705293<感想>
 
いい歳をしたおっさんが読む本ではないかも知れませんが、なかなかいい本です。ツッコミ所がないわけではありませんが、それを上回る感動があります。
 二人の会話はテンポ良く、とてもウィットが効いています。良い言葉もありました。
 咲良「二人が出会ったのは偶然でも運命でもない。私たちがこれまでの人生でたくさんの選択をしてきた結果なんだ。私たちは自分の意志で出会ったんだ
 もう一か所。
 僕「君にとって生きるってどういうこと?」

 咲良「生きるって、きっと誰かと心を通わせることかな

 著者はこの辺りが言いたかったんじゃないかな、と最後に思いました。とてもヘビーなテーマを扱っているのに、とてもライトなタッチで描かれていて、どんどん引き込まれます。最後の30~40ページくらいは、なかなか泣かせます。

(M.T@総務部)

私の読書日記36

2017年4月19日 水曜日

ギリシャ人の物語Ⅱ(民主政の成熟と崩壊)

 塩野七生

 塩野七生の最新刊、私にとって待望の「ギリシャ人の物語第Ⅱ巻」です。

20170419塩野氏のこの本は全3巻で成り立っています。

  第Ⅰ巻  民主制の始まりからぺルシャ戦役まで

  第Ⅱ巻  アテネの隆盛からペロポネソス戦争を経てその没落まで

  第Ⅲ巻  マケドニア王アレクサンダーにギリシャ全体が征服されるまで

 第Ⅰ巻では東方の大国ペルシャの侵攻をギリシャ諸都市が団結して撥ね返したペルシャ戦役が描かれましたが、この後、アテネには優れた指導者が続き繁栄を謳歌します。

(あらすじ)

 アテネは直接民主政の国で、全人口約6万人を10の地区に分け、各地区から毎年一人の代表を選ぶ(再選は可)。この選挙で選ばれた10人の代表をストラテゴスと呼び、1年間国政を執行する。しかし、決定権はあくまで国民にあり、重要政策は必ず市民集会にかけられ、決定事項はストラテゴスも守る義務がある。

 このストラテゴスに毎年選ばれ、この時代(紀元前461年~430年)国政を実質的に一人で担ったのが、ペリクレス。彼はペルシャと講和するだけでなく、ギリシャ世界のライバル、スパルタとも和解した。一方で海軍力を強化しエーゲ海の制海権を握ると、エーゲ海東西両岸の都市国家やエーゲ海内の島々と同盟を結んだ。これをデロス同盟と呼ぶ。これはペルシャに対抗する軍事同盟という目的だけなく、エーゲ海を通じた自由な貿易の確保という狙いもあった。海洋国家であったアテネは貿易を通じて繁栄し、ギリシャ世界に君臨した。

 アテネが平和で隆盛するとギリシャ各地から様々な人材も集まり、文化面でも大きな繁栄が続いた。今に残るギリシャの文化遺産はほとんどこの時代のものである。歴史作家ツキディデス、悲劇作家ソフォクレスら、喜劇作家アリストファネス、医学の父と言われるヒポクラテス、哲学者ソクラテスがこの時代の人である。そしてペリクレスその人も巧みな弁舌家であり、彼の演説は今でも民主主義の意義を示したものとして名高い。そしてペリクレスが残したものとして、今の時代の我々にとって大きな功績はパルテノン神殿であろう。彼はその任期中一貫して神殿の再建を市民に訴え膨大な国費も支出し実現した

しかし彼の死後、アテネの民主政は迷走し始める。様々な政治家が現れては消え、市民集会の決定は煽動家たちによって右に左に揺れ、ペリクレスが避け続けていたスパルタとの戦い(ペロポネソス戦争)に深入りし、ついには全市民の半分以上を投入して地中海のシチリア島へ派遣した海軍が、スパルタとシラクサ(シチリア島の都市国家)の連合軍の前に全滅。その後の戦いでスパルタに無条件降伏、デロス同盟も崩壊した。ペリクレス死後25年後のことであった。

(感想)

 アテネの繁栄に対し、その没落はあまりにも急であっけなく悲しい。民主政の担い手は同じアテネ市民なのに、昨日と今日でなぜこんなにも違ってしまうのか。結局政治は、民主政であれ、王政であれ体制はどんな形をとろうとも、それを指導する人物次第なのか、思ってしまいます。

 アテネの降伏を受け、スパルタ側で戦った都市国家、テーベとコリントはアテネ市民全員の処刑とアテネ市内の更地化を要求したといわれます。しかし、これをスパルタ王が撥ねつけます。「お前たちはペルシャ戦役でアテネがギリシャのために払った犠牲を忘れたのか」と。スパルタもまたペルシャとの戦いでは多大な犠牲を払っています。アテネに対しては同志にも似た気持ちが少しは残っていたのでしょう。もし、この時、スパルタ王がテーベ、コリントの要求を呑んでいたら、パルテノン神殿は今に残ってはいなかったわけです。そこに少しだけ救われた気持ちです。

(M.T@総務部)

私の読書日記35

2017年2月6日 月曜日

天子蒙塵第1巻、第2巻

浅田次郎

201702061 浅田次郎のライフワークとも言うべき、中国もの歴史小説最新作です。氏には代表作として中国清朝末期の西太后時代の政争を描いた「蒼穹の昴」がありますが、その後、西太后時代に起きた事件(皇妃の変死)を描いた「珍妃の井戸」、西太后後の時代に活躍した軍閥、張作霖を描いた「中原の虹」、その張作霖爆殺の真相を探る「マンチュリアン・リポート」を発表し一連のシリーズのようになっています。それらのシリーズ第5部とも言えるのが本作品です。

 私は、20年前に直木賞候補になった「蒼穹の昴」で浅田次郎を知りました。たぶん人生で一番夢中になって読んだ本です。近代中国の歴史の勉強にもなりました。登場人物は実名でストーリーもリアルなため全て史実に基づいて書かれていると思い込んでいましたが、主人公の二人、梁文秀と李春雲が氏の創作上の人物と後で知りショックでした。ただ、この二人を主人公にしたからこそ、ストーリーに厚みが出たのかも知れませんし、後に続くシリーズに全てこの二人が登場するところを見ると、最初から二人に狂言回し的役割を与えているのかも知れません。もちろん、本作品にも二人は登場します。

201702062<あらすじ>
 清朝が崩壊し孫文の中華民国が成立したが、最後の皇帝溥儀は紫禁城の半分の使用を許され、未だ皇帝の如く暮らしている。しかし中華民国の統治は混乱し軍閥が鎬を削っており、溥儀の命を狙う者あるいは溥儀を奪い利用しようとする者もおり、溥儀たちはドイツ人租界へ逃げる。更に天津の日本人租界へと転々とする。そんな中でも溥儀と少なくなった側近たちは清国の復活、皇帝溥儀の復位を信じて耐えている。

 溥儀には皇妃として婉容、側室として文繍がいたが、文繍は自由を奪われた生活に耐えきれず、脱出し離婚を提訴。中国歴史上初めての皇帝離婚劇となった。(第1巻)

201702063 中国の混乱の中でその勢力を増してきたのが日本の関東軍である。彼らは溥儀に近づき、清朝の復活を匂わせながら、利用しようとする。溥儀は、日本を信用できないが自らの悲願のために日本の支援を受けることにする。日本は中国での軍事行動で国際的に孤立する中、自らの軍事行動を正当化するためには、中国人の自立した活動を支援しているとの体裁が必要であった。そのため、溥儀を執政(後に皇帝)とした満州国を建国し、傀儡国家とする。

 一方、その関東軍に最後まで抵抗を続けているのが張作霖亡き後、馬賊を率いる馬占山である。彼は、日本軍に恭順したかつての仲間から満州国での主要なポストを約束され、投降を促される。その呼びかけに応じて戦いを止めた馬占山であったが、彼には隠された狙いがあった。(第2巻)

<感想>
 「天子蒙塵」とは、天子つまり皇帝が塵(ちり、ほこり)をかぶること。世界の中心であるはずの中国では、皇帝が塵を蒙ることなど決してあってはならないことです。しかし、前皇帝溥儀は逃げるようにして紫禁城を脱出し、その後も住居を何度も変わります。皇帝が塵にまみれ都落ちする惨めな姿を本のタイトルにしています。

201702064201702065 ラストエンペラー溥儀は世界でも稀にみる数奇な運命を辿った人物だと思います。その転変には同情しますが、彼の人生はそれだけスリリングでドラマチックです。小説の主人公としては、これ以上の素材はないかも知れません。
 「蒼穹の昴」「珍妃の井戸」以降、浅田氏のこのシリーズを読んでいなかっかのですが、改めて氏の作品の面白さを知りました。第3巻も楽しみですが、まだ読んでいない「中原の虹」と「マンチュリアン・リポート」を読んでみようと思いました。

(M.T@総務部)

私の読書日記34

2016年11月30日 水曜日

聖(サトシ)の青春

大崎善生

2016120111998年(平成10年)、29歳で逝った将棋界の鬼才、村山聖八段の生涯を描いた作品です。今、松山ケンイチ主演で映画が公開されています。私は彼の名は知っていましたが、今回読んでみてその生涯の壮絶さに驚き、感銘を覚えました。将棋に全く興味がない人でも、一人の若者の生き方から強烈な刺激を受けることと思います。

<あらすじ>

 村山聖は1969年(昭和44)広島市に生まれた。5歳の時、腎ネフローゼという難病にかかり、小学校5年まで国立療養所に入院し、院内学級で勉強することになる。入院していた同室の子供がある日、突然いなくなることを日頃から見ていた村山は、死というものを身近なものと感じる多感な子供になっていった。父がそんな息子の気晴らしになればと児童書やゲームを差し入れる内、一冊の本に村山は引き付けられる。それが将棋の解説本であった。それからというもの、村山は父に将棋関連の本ばかり差し入れを要求するようになる。病室では一日中、本を片手に盤上の将棋の駒を動かし、将棋の研究に没頭する。

 10歳の頃、外泊許可をもらい将棋教室へ通うようになると、一度も実戦経験がなかったにもかかわらず、メキメキと頭角を現し、11歳の時中国こども名人戦に優勝(その後4連覇)。その頃より中国地方一帯に名前を知られ始める。この頃から村山も強烈にプロを意識するようになり「プロになりたい」「名人になりたい」「谷川(名人)を倒したい」が口癖になる。

 両親は「この身体ではどう考えてもプロは無理だ」親族会議を開いてまで断念させようとしたプロ入りだったが、逆に強烈な自己主張で親族までも説得し納得させてしまう。

1982年(平成57年)、中学1年で森信雄六段を師匠として入門。翌年、奨励会(注1)に5級で合格、プロの卵となった。

(注1)奨励会とは、棋士の養成機関。各級から三段まであり、三段から四段に昇級するとプロとなる。各級各段毎に厳しい年齢規定があり、その年齢までに昇級できないと強制的に退会となる。

 奨励会入会後も、体調は一進一退で入院のため何度か休会している。それでも5級から三段までをほとんどノンストップで通過し、1986年(昭和61年)11月、17歳で四段に昇級し晴れてプロとなった。奨励会入会からプロ入りまで2年8か月は谷川や羽生を上回るスピード出世だった。

その後も快進撃は止まらず、順位戦(注2)の各級を驚異のスピードで通過し1995年A級に昇級、八段となり名人位を射程に捕える。

(注2)プロ棋士は全員、C2~1組、B2~1組、A級の5つの級に分かれ、級が上がると1段昇段しA級が八段。A級リーグの優勝者が名人に挑戦できる。

 一方、病気の方は全く快方せず、この快進撃の間も何度も入院、退院を繰り返し、不戦敗や病室から対局場へ行くこともしばしば。1局対局すると体力を消耗し、2~3日動けなくなり、自宅アパートでひたすら安静にするしかなかった。

 A級に昇級後、体調が悪化し、1997年にB級に降格。この時、膀胱癌が見つかり、片方の腎臓と膀胱を摘出する手術を受ける。生殖機能も失われた。1か月の入院後、医師の反対を押し切り、看護師に付き添われながら、棋戦に復帰。1年でB級を突破し、1998年(平成10年)A級復帰が決まった。

 その年の2月、村山は医師より非情な宣告を受ける。癌が再発していたのだ。村山は決められた戦いをこなしながら、翌期の休場を決め将棋連盟に届け出る。自身の最期を悟ったのだろうか。

 5月、再度入院したがもはや手術は不可能、放射線治療のみであった。そして8月8日、息を引き取った。最後まで将棋の棋譜をうわ言の様に読み上げ、最後の言葉は「2七銀…」であった。

<感想>

 村山のすさまじい将棋への執念、勝利へのこだわりは、自身の病気と直結しています。幼い頃から常に病気と闘い、死と隣り合わせにいた村山は、「自分には時間がない」ことを知っていました。だから名人になるためには、1年でも早くプロになり、八段にならなければならなかった。村山には無駄にできる時間は1秒もなかったのです。
 一日、一分、一秒を大切にし、真剣に生きる。そのことを村山は私たちに教えてくれています。

 一方で村山は、命あるものに優しい目を向けます。動物や植物、自分のように病気に苦しむ人、障害を持つ人たちは他人のようには思えなかった。草花を切って飾ることさえ嫌がります。こういう純真無垢なところが多くの先輩から可愛がられ、友人や後輩からは慕われました。友人の一人である先崎六段(当時)の追悼文に胸をうたれます。

https://shogipenclublog.com/blog/2015/04/22/senzaki-7/

(M.T@総務部)

私の読書日記33

2016年10月14日 金曜日

徳は弧ならず~日本サッカーの育将 今西和男~

 木村元彦

201610142012年8月23日、FC岐阜の社長今西和男氏(以下敬称略)が突然解任されました。いったい、あの時、何が起こっていたのか。

2007年、広島出身の今西にとって何の縁もゆかりもない岐阜に、三顧の礼で迎えられFC岐阜のGMに就任、その後請われるまま社長にもなり、Jリーグが掲げる地域貢献という使命をどのチームよりも熱心に追求してきた岐阜県の恩人がなぜ斬られなければならないのか。私の頭の中にあの時からずっと疑問が残ったままでしたが、今般スポーツジャーナリストである著者の取材により諸々の事情が明らかになってきました。本書はそれらの事情だけでなく、今西和男のこれまでのサッカー指導歴を中心に、その人となりを紹介するものです。

(概要1 FC岐阜以前)

 今西は1941年広島市生まれ。1945年8月の原爆投下の日は広島市内で被爆。今も身体にはケロイドが残り、左足は自在にボールを蹴れない。そんな今西であったが高校2年時にサッカーを始め、技術が劣るところを体力と勇気で補い、やがて有力選手となり、東京教育大(現筑波大)に進学してもサッカーを続け、社会人サッカーチームを持っていた東洋工業(現マツダ)に入社。

 東洋工業での選手生活は短かったが、引退後福祉課や営業マンを経験。福祉課では7500人にもなる社員寮の社員の面倒を見、営業では1年間で125台を売ったトップセールスマンだったこともある。1982年にサッカー部副部長としてサッカー部に復帰、名門東洋工業の再建を託される。

 今西は総監督としてチームの運営には関わるが、現場はオランダから招聘したハンス・オフト(後の日本代表監督)に任せた。この時の今西の立場がゼネラルマネージャー(GM)であり、今西は日本初のGMと呼ばれる。

 1993年Jリーグ創設時にはプロ化し、サンフレッチェ広島として参入、1994年Jリーグ制覇。その後は日本サッカー協会の強化委員を務めるなど、日本サッカーの強化にかかわってきた。

(概要2 FC岐阜以降)

2007年、FC岐阜GM就任時、クラブは会社としての体をなしていなかった。資本金は200万円、債務超過は2,億円。Jリーグへの加盟申請も条件が到底満たないため、承認されず。今西はチーム強化だけでなく、資金繰りまでも見なければならなくなる。同年、チームはJFL3位となり成績としてはJ2昇格の条件を満たしたが、肝心の経営面の審査が厳しく簡単にはJリーグ加盟を認められない。Jリーグ側が出した条件が、今西の社長就任であった。それだけ今西に対する信頼はサッカー界の信頼は厚かったのである。社長になることは債務の保証人になることも意味したが、サッカークラブが地域に貢献できるようになれば、と引き受ける。この決断が後々禍根を残すことになる。

 Jリーグはその後、クラブライセンス制度を導入。一定期間内に財務状態が改善されないクラブに対しては、ライセンスを下ろさないル-ルが敷かれた。FC岐阜はこのルールに抵触し、存続の危機に瀕する。この時外部からJリーグに入りライセンス制度をつくったメンバーたちが今西降ろしを画策。FC岐阜の人事に介入し、今西退任をライセンスを交付する条件とした。県、市、財界が一体となってFC岐阜を支援しようと決めたその日に、Jリーグ側は今西の退任を求めてきたのである。県、市ともそれを認めざるを得なかったのであろうか。

(感想)

 タイトルにある「徳は弧ならず」とは論語にある言葉で、日常から徳を積んでおけば、そのときは報われないことがあるかもしれないが、将来きっと理解され、その努力が芽を出し花が咲く。孤独のようだが決して一人ではない。見ている人は必ずいる、という意味です。この言葉を今西に教えたのは岐阜の財界人とのことですが、まさに今西の人柄にふさわしい言葉です。

 今西は多くの選手や指導者を育てました。Jリーグだけを見ても、広島の森保一、川崎の風間八宏、清水の小林伸二、長崎の高木琢也などが監督として活躍しています。岐阜では不幸な結果となりましたが、今西が岐阜で播いた種は将来きっと大きな花を咲かせてくれると思います。

(M.T@総務部)

私の読書日記32

2016年7月28日 木曜日

陸 王

 池井戸潤

s20160728池井戸潤の作品をこのブログで紹介するのは4度目になります。もちろん一番多いのですが、私が好きな作家だからと言うより、今、日本で一番人気のある作家でヒット作が多いが故だと思います。

さて、今回の主人公は足袋屋の社長です。足袋と言えば、今は和装にしか使われませんが、以前は建築業界の職人さん方にとって地下足袋は必需品でしたし、子供の運動会では運動足袋が主流でした。私も子供の時は履いて走ったものです。

しかしながら、近年需要は大きく減少し、足袋を作るメーカーもどんどん廃業。足袋一筋100年を超える家業を続けてきた「こはぜ屋」の四代目社長、宮沢もそのような現状と将来を憂い、この先どうして行こうか悩んでいます。

<あらすじ>

 会社の将来のため、何か新事業を立ち上げねば、と考えていた宮沢は運動靴の製作に自社の足袋の技術を活かせないかと思いつく。スポーツインストラクターに相談したり、実業団の陸上競技チームを紹介してもらったりして、研究開発がスタート。

技術的な面では、倒産したベンチャー企業が死蔵していた特許技術を活用できたりして、これまでにはないソフトで軽くかつ耐久性が高く、怪我をしにくい靴「陸王」を開発。世に出そうとするが、既存の大手スポーツ用品メーカーのアトランティスに悉く妨害され、販売はスムーズに進まない。しかし、その情熱に感銘を受けた、某実業団陸上部の茂木が陸王を履いて競技に出ることを決意。元日の「ニューイヤー駅伝」で快走し、これが陸王のデビュー戦となった。

上々のスタートを切った「陸王」だったが、その前にはとんでもない事件が次々と起こり、運動靴事業からの撤退を決断しなければならない危機が到来する。

<感想>

 さすが池井戸潤!とうなりたくなる展開です。次々とヤマ場がやってきて、あっという間に時間が過ぎて行きます。ニューイヤー駅伝の模様などは、テレビの実況中継より生々しく、ハラハラドキドキしっ放しです。

そして業界のことをよく調べてあることにも感心します。氏の専門分野ではないでしょうが、足袋業界やスポーツ業界の状況。靴に関しても、どういう走りが怪我が多いのか、どういう靴が理想なのか、かなり専門的です。

登場人物は皆キャラが立っていて“善玉”“悪玉”がはっきりしていています。これらの登場人物が躍動し、最後は勧善懲悪型の展開で必ずハッピーエンドで終わり、読み終わってすっきりするところが氏の作品が広く受け容れられる要因ではないか、と改めて思いました。近いうちにドラマ化されることは確実でしょう。

(M.T@総務部)

私の読書日記31

2016年4月1日 金曜日

ギリシャ人の物語Ⅰ 民主制の始まり

 塩 野 七 生

20160401イタリアに在住し、ヨーロッパを舞台にした歴史物語を多く執筆してきた著者の最新作。

 全三巻構成でⅠ巻は紀元前6世紀頃からのアテネスパルタを中心とした都市国家(ポリス)の成立から、二次に亘る東方の大国ペルシャとの戦いが描かれている。

(あらすじ)

ギリシャはこの時代を通じて一つの統一国家として存在したことはなく、各都市がそれぞれ独立した国家として成立しており、その数は300を超える。代表的な都市国家はアテネとスパルタであるが、この二つの国家の政治体制は全く異なっている。

スパルタはがいて(王は常時2人制で軍事のみを担当)、身分制も厳格な完全な軍事国家。生まれた子供はその時点の健康状態を見て進路が決められる。7歳になると集団生活に入り20歳まで徹底的に軍事訓練を受け、卒業時には、1週間無一文で見知らぬ土地へ放り出され、帰還する時は一人の奴隷を殺してその首を持って帰らなければならない、というすさまじい試練が課されている。

 一方アテネは身分制はあり、身分に応じた兵役義務があるものの、国家の方針を決めるのは直接、市民が参加する直接民主制。各地域からの代表者で構成する執行機関はあるが、任期は1年。有名な陶片追放で国家を追われる権力者もいる。アテネは主に経済力で成長してきた。

 これらの都市国家同士は争いが絶えず戦争ばかり。たまには戦いを止めないか、ということで始まったのがオリンピックの由来である。

 このように発展してきたギリシャ諸国が東方から興った大国ペルシャの侵略で国家存亡の危険にさらされる。普段は争っている諸国家、特にアテネとスパルタがこの時は同盟した。ペルシャの戦力はその数20~30万人、対するギリシャ軍は各国合わせても数万。戦力的には勝ち目はなかった。

 しかし、第一次ペルシャ戦役ではマラトンの戦い(紀元前490年)でアテネの陸軍がペルシャを撃退(マラソンの由来)、その10年後第二次戦役ではサラミスの海戦(紀元前480年)でアテネを中心とした海軍が勝利、陸戦ではスパルタ王レオニダスが300人の兵で戦ったテルモピュライの戦いで戦死した(「300」というタイトルで映画化された)が、プラタイアの戦い(紀元前479年)でペルシャ陸軍を撃破。

 二次に亘る戦いでペルシャ側は完全に撤退。その後百数十年間、外国の侵入はなくギリシャの隆盛が始まる。

(感想)

 歴史上の変革期には必ず英雄が現れる。これらの人物なくして変革はなかっただろうし、その国の隆盛もなかったであろう。この時期のギリシャでは、アテネのテミストクレス、スパルタのパウサニアスはその代表格であるが、戦死したレオニダスは英雄として語り継がれた一方、圧倒的劣勢の中、マラトンとサラミスでいずれも戦略を立案し勝利に導いたテミストクレス、プラタイアの戦いの功労者パウサニアスの最期は悲しい。特定の個人が活躍するとそれだけ他人の嫉妬を買うのだろうか。

私は歴史物語が好きだが、特にギリシャ、ローマの歴史が大好き。塩野氏は「ローマ人の物語」全15巻を1992年から毎年1巻ずつ刊行。これが終わると「ローマ後の地中海世界全2巻」「十字軍物語全4巻」「皇帝フリードリッヒ二世の生涯全2巻」と主にローマ後の中世ヨーロッパを中心に執筆してきた。そしていよいよ今回、ローマから前に戻ってギリシャを扱った物語が始まった。

私にとっては待望のテーマであり、ワクワクしている。今から続刊が楽しみである。

(M.T@総務部)

私の読書日記30

2015年8月11日 火曜日

流(りゅう)

 東山彰良

 流_今年上半期の芥川賞・直木賞はお笑いコンビ、ピースの又吉直樹の「火花」が芥川賞を受賞した話題で持ちきりですが、実は直木賞の方は東山彰良氏の「流」が審査員全員一致で受賞しています。全員一致というのは非常に珍しいようです。著者は台湾出身の作家です。私は「火花」は読んでいませんが、「流」は図書館で借りて読みました。

(あらすじ)

 舞台は1970年代の台湾。主人公、葉秋生(イエ・チョウシェン)の祖父葉尊麟(イエ・ヅゥリン)は中国山東省出身。先の大戦中、国民党蒋介石軍に身を投じ、遊撃隊として活躍。多くの戦闘に参加し中国共産党軍と戦い、戦果を挙げた。

 その祖父は戦争に敗れると蒋介石とともに台湾に渡り、家庭を持ち息子2人、娘1人が生まれ、長男から葉秋生が生まれた。祖父の家族には、かつての戦友が家族皆殺しになった時、唯ひとり生き残ったその息子を引き取り自分の子として育てた宇文(ユイウェン)叔父もいる。宇文叔父は秋生のことをかわいがり、秋生も宇文叔父を慕っていた。また、祖父は他人に対して大変厳しい人物ではあったが、秋生には優しく秋生は祖父が大好きだった。

 秋生が14歳の時、その祖父が自分の店で殺された。それも恨みを込められた惨殺だった。警察の捜査はされたが犯人はわからないまま経過した。
 高校に入ると秋生は友人の小戦(シャオジェン)がやくざ仲間とつるんでいるため、彼らとの関わりの中から問題を起こし、高校を退学させられ非行少年になっていく。しかし、秋生の心の奥底にはいつも祖父の死への疑惑が陰を落としていた。

 やがて、秋生は頭から離れないこの疑惑を解決するため中国へと旅立つ。そこで秋生が見たものは、自分が今まで信じていたもの全てを覆す事実だった。

(感想)

 台湾を舞台にした小説を読むのは初めてです。全く台湾の知識がなかったこともあり、たくさん勉強になりました。

 台湾社会にはいくつかの対立があります。外省人(大戦後中国から渡ってきた人)と本省人(元から台湾に住んでいる人)の対立。過去支配していた日本に対する親日派と反日派の対立。中国を頼るか自立するかの対立。

 そういう歴史や背景があり、登場人物の個性は様々です。それもあってかストーリーはとても面白く、波乱の展開が続きます。基本はミステリーですが、カーチェイスあり、やくざとの抗争あり、ほのかな初恋と苦い失恋あり、ワクワクドキドキの連続で読む人を飽きさせません。そして最後には意外な結末が待っています。

 直木賞審査員から高い評価を受けたのもうなずけます。

(M.T@総務部)

私の読書日記29

2015年7月14日 火曜日

日本の一番長い日

 半藤一利

 20150714本作は1965年(昭和40年)に発表され、1967年(昭和42年)に映画化されましたが、今回戦後70年の節目に、新たに判明した事実も加えリメイクされました。映画は8月8日封切とのこと。山崎努、役所広司、本木雅弘、松坂桃李らが出演します。(公式映画サイト http://nihon-ichi.jp/ )

終戦が決まった8月15日の前日から当日に至るまで、1時間ごとに刻々と情勢が変化した当時の状況を、詳細な調査で再現した息詰まるドキュメントです。

(あらすじ)

1945年(昭和20年)7月27日に連合国側から突きつけられたポツダム宣言を受諾するかどうか、日本政府の議論は紛糾した。沖縄戦でおびただしい民間人が犠牲になった果てに占領され、8月6日に広島、9日に長崎に原爆を落とされ、日本には戦争を継続する力はどこにも残っていなかった。その現実を直視すれば無条件降伏を受け入れ戦争を終結するしかないという外務大臣、海軍などと、本土決戦にこそ勝機ありとする陸軍とが真っ向対立、最高戦争指導会議の議決は3対3。やむなく、天皇の裁断を仰ぐ(これを聖断という)と、天皇は自らの口で「自分は無条件降伏でいいと思っている。これ以上国民に犠牲を強いることはできない」と明確に述べる。これが8月9日。しかし、陸軍が降伏条件をめぐって巻き返しを図り、8月14日再度の御前会議が開かれ同じ内容で聖断が下る。これが正午頃。

 ここに至って陸軍大臣阿南惟幾は聖断を受け入れることを決め、全陸軍に「承詔必謹」(天皇のお言葉を忠実に実行せよ)の方針を徹底させる。

 しかしながら、ここまで来てもなお戦争続行を主張するグループが存在した。それは主に近衛師団(天皇と皇居を守る軍)の若手将校らであった。8月14日深夜、時刻としては15日午前1時頃、彼らは自分たちの上司でもある近衛師団長を殺害し、師団長命令を偽造、全近衛師団に、皇居の封鎖、玉音放送録音盤の奪回を指令した。彼らの狙いは15日正午に予定されている玉音放送を中止させるとともに、自らの決起により陸軍全体を立ち上がらせクーデターを実現することであった。

 彼らの叛乱はやがて近衛師団を管轄する東部軍管区の知るところとなり、明け方には鎮圧されたが、この数時間の間、実際に皇居は彼らに蹂躙され、天皇の側近たちは軟禁されたりもしたのである。これを宮城(きゅうじょう)事件と言う。

(感想)

 終戦の日、玉音放送に至る過程でこのような大事件が起こっていたとはほとんど知りませんでした。大変勉強になった本です。

 これらの経緯を知るといろいろな感想を持ちます。

一つは、国の意思が終戦に決するまでに天皇の果たした役割の大きさです。多くの要人が戦争継続を無理だとわかっていても、本土決戦、一億総玉砕を主張し、ここまで戦争を主導してきた陸軍を抑えることは天皇にしかできなかったのでしょう。ただ、逆に言えば、終戦を決めることができたのであれば、中国で関東軍が暴走をし始めた時に、あるいは米国と戦争を始める時、なぜ止められなかったのか、という疑問は残ります。

二つ目は、阿南陸相についてです。これまでの私の印象は、最後まで終戦に反対した陸軍のボスという悪いイメージでしたが、彼も戦況の厳しさを理解しつつも陸軍全体の空気を代弁して、終戦に反対せざるを得なかったのであろう、と理解できます。それが、聖断を受け入れた後の対応に表れています。宮城事件が本格的なクーデターにならなかったのは、彼が陸軍を掌握し軽挙妄動を諌めていたからでしょう。映画では役所広司が演じます。なかなかの適役ではないでしょうか。

 戦争の記憶が薄れて行く今、国民必読の書ではないかと思います。

(M.T@総務部)