私の読書日記41

2017年12月5日 火曜日

守教(上)(下)

帚木蓬生

201712055201712054 戦国時代、フランシスコ・ザビエルにより日本に伝わったキリスト教が、各地に教会が建てられるほどに広まった後、秀吉の時代に一転して禁教となり、江戸時代に入り徹底して弾圧されたことで、多くの信徒は棄教(キリスト教を捨て他の宗教を信じる)を余儀なくされました。しかし、表向きは棄教を装いながら、教会もなく神父もいない中でも秘かに教えを信じ、子や孫へ教えを伝え続け、江戸時代の終わりまで信仰を続けた人々がいました。

 そのような人々にスポットをあて、その苦しみや信仰のあり方を描いた小説です。

(あらすじ)

 九州は豊後の国(現在の大分県南部)の領主、大友宗麟は熱心なキリシタン大名だった。その家来でありキリシタンだった一万田馬之助は、豊後国内高橋村の大庄屋(庄屋のとりまとめ役)になるように頼まれる。その時、宗麟から「たとえ小さな村でも、ゼウスによって導かれるこの世の楽園をつくってほしい」との使命を与えられる。その使命の印として、ザビエルから授かったと言われる、絹の布を受け取る。

 馬之助は大庄屋としての仕事に懸命に取り組み、村の農民や各庄屋からの厚い信頼を得る。馬之助の人柄が、やがてキリスト教の教えに導かれたものであることを知った農民たちは、馬之助を通じてその教えを求めるようになる。戦続きの世にあっては命があまりにも軽く、貧しい生活を強いられる農民の心に、キリスト教が説く「慈愛」や「救い」は乾いた土に水が浸みこむように広がっていった。

 馬之助に教えを説いたアルメイダ修道士は、捨て子や孤児たちを引き受け孤児院を開設していた。その孤児院から一人の捨て子を馬之助は自分の養子として育て、久米蔵と名付けた。久米蔵は父以上に熱心な信徒となり、村人たちにキリスト教の祈りを教えるようになる。やがて高橋村の周辺にも信徒は広がり、近隣の秋月には教会も建てられ、神父や修道士による教えも直接聞けるようになった。

 しかし、急速な拡大を驚異に感じたのか、あるいは「キリスト教布教の真の狙いはポルトガルによる日本征服の先兵となること」という噂を信じたのか、秀吉はこれまで容認してきた布教を一転して禁止とする、伴天連追放令を出す。

 江戸時代になるとキリスト教を信仰することそのものが禁止となり、宣教師、信徒に対して徹底した弾圧が始まる。信徒であることがわかれば、拷問による棄教が迫られ、棄教しない者は衆人監視の中、打ち首か磔刑。更には、逆さに吊るし死ぬまで放置するという酷い刑まであった。

この時代、高橋村の大庄屋は久米蔵からその長男である音蔵の代になっていた。次男の道蔵は近隣の今村の農家へ婿入りし大庄屋の下の庄屋となっていた。熱心な信徒であった道蔵は高橋村の危機を救いかつ信仰を守るため、自分が犠牲になることを決意する。

それは大庄屋である兄音蔵と息子である鹿蔵が、奉行所へ「村内の農民は皆信徒ではないが、唯一道蔵だけが信仰を捨てていない」と訴え出ることだった。

音蔵と鹿蔵は必死で翻意を迫るが、道蔵の意志は変わることなくやむなく道蔵の言う通り、音蔵と鹿蔵は届け出て、道蔵は磔の刑を受ける。その結果、奉行所は高橋村の届を信用し、信徒へのそれ以上の追及はなくなった。

高橋村の人々は道蔵の遺志を守り続け、その後200年以上、表向きは仏教徒として生き、秘かにキリスト教の教えを受け継いだ。

(感想)

今村天主堂 (福岡県太刀洗町)

今村天主堂
(福岡県太刀洗町)

 重く、あまりにも重い本で読み続けるのがつらい本です。とりわけ、多くの宣教師や信徒が拷問で殺されていく様子はとても寝る前には読めません。

主人公の馬之助や久米蔵は創作上の人物と思われますが、他の登場人物、神父や修道士は全て実在した人物です。地域名も実名で、道蔵の墓の上には現在今村天主堂が建立されています。

随所にキリストの教えも散りばめられ、キリスト教の教義や歴史の勉強にもなる本です。若い頃読んだ遠藤周作「沈黙」を、もう一度読んでみたいと思いました。

(M.T@総務部)